「ぼっち」という語の由来が示すように、
ラノベ世代の最大の特徴はその孤独の形にある。
「オタク」が自己卑下と排他性に支えられていたのに対し、
「ぼっち」はそうした「オタク」のあり方も含めて
「大衆性」と距離をとる。
「ぼっち」はあくまで一人なのである。
フツーの世界よりも、
アニメ的特撮的マンガ的物語の世界よりも、
闇に包まれた閉鎖空間の方が、
ずっと現実的で楽しいと感じられる感性が、
ハルヒをして、ラノベならではの
「ぼっち」なヒロインの原型たらしめている。
自己卑下もしない、自己言及もほどほどである「ぼっち」は、
自分が孤独であることのみを通じて友情を育み、
互いの趣味に立ち入らない
「ぼっち」はいじめの対象外
リアル世界は、まやかしという確信がある
会話力で充実するリアルライフは「非ぼっち」と呼ばれる
「ぼっち」はそれをリア充として軽蔑する
幻影のリアルとは違う
数学的に証明された現実の覇権を握ろうとする
永世中立国のようなものだ。
「リア充しろ!」
非ぼっちである他者たちが
そのコミュニケーション能力により
充実させているリアルライフを
羨ましく思っている。
ノストフォビア(帰郷嫌悪)の対象であった過去を
時にマゾヒストに思い出しながら
未来のノスタルジアに青春を再構成する営みこそが
ぼっち語りの実体である
ノストフォビアの概念により、
ぼっちのこだわりが随分と明らかになる
終わりなき日常が
いつか終わってしまう事を意識すると
ぼっちとなって溢れる
未熟な後輩に対して苦笑いするひねくれ方は
中二病は卒業したけれども
今度は高二病の始まりである
難しいけれども、成長するには
「悪い過去と決別して
心を未来にだけ向け
たゆまぬ前進を続ける」
しかない
だから、たゆまぬ前進という行為を
ラノベはもっと語るべき
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■加筆・補足
悲しい『独りぼっち』にならないためには
どうすればいいか?
それをお教えします。
という事で、渡辺浩弐先生の本
『ひらきこもりのすすめ2.0』より引用。
今回、かなり長くなりますが
最後まで読みましょう。
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僕は就職試験を受けたり会社に入ったりはしませんでした。
ただ、それはポジティブな選択ではなかった。
僕の場合、ただ目についたものを見て遊んで、
それで思ったことを書く、
それだけでなんとなく食べてこられた。
それは時代のめぐりあわせというか、
単純にラッキーだったのだと思う。
ただし、これは、いまならあらかじめ
狙って獲得できるラッキーだ。
その点をちゃんと説明したいので、口はばったいけれど、
しばらく自分のことを書く。
ゲームセンターに入り浸っていたのは、大学生の頃だった。
といっても大学にはほとんど通わずに毎日ぶらぶらしていた
(結局八年間在籍した)。
毎日十五時間くらいゲームをやっていたけれど、
別にいつか評論を書こうとか、
自分でも作ってみようとか思って研究していたわけではない。
そもそもゲームをやっていてお金が稼げるなど
とは夢にも思わなかった。
当時(一九八〇年代前半)、
ゲームが巨大産業になるなんて
予想する人間は一人もいなかった。
ゲームなんて子どものおもちゃか、
チンピラの暇つぶしだった。
就職せずにそんなもので毎晩徹夜してるなんて、
二十歳をとうに越えた大人としては
もはやクズ同然と言っても過言ではなかった。
その状況がずいぶん長いこと続いた。
ゲームに関連してちょっとでも収入を得始めたのは、
だらだらと五、六年遊んだあとなのである。
僕のもとへも、原稿や企画の仕事が入りだした。
それはもちろん僕が特別な能力を持っていたからでも、
努力して売り込みに行ったからでもない。
ゲームについての文章を書ける人間が、
いや、そもそもゲームについて知っている大人の数が少なかった、
というだけの理由である。
短い文章を一本書くだけで何万円も入ってくるのは
楽しかった。
仕事はいくらでもあふれかえっていたから、
楽しさに乗じてがんばれば
一日二十万〜三十万円稼ぐことも、よくあった。
僕はそのお金で都心にマンションを借りた。
事務所を構えたわけではない。
そこにはゲーム機とモニターを並べた。
これを揃えればゲームセンターのように
楽しい空間ができるだろうという発想だった。
僕に仕事を持ってきてくれるような人たちは、
雑誌の編集者にしてもTV局のスタッフにしても、
皆かなりのゲーム好きだった。
彼らは仕事をサボっては僕の作った空間に立ち寄り、
あれこれ喋ってはゲームを遊ぶようになった。
自然と情報が集まってくる。
仕事を介して知り合ったゲームメーカーの人も
遊びに来るようになった。
ゲームのことを知りたいときはあそこへ行けば、
と頼ってもらえるたまり場に発展したことは予想外だったが、
うれしいことだった。
ゲーム業界が急成長したおかげで、
よく出入りしていたメーカー社員たちは
俄然忙しくなった。
彼らが持ってきてくれる仕事の量も増えていった。
執筆やTV出演の依頼だけでなく、
そのうちゲーム関連のCMや攻略ビデオの制作、
あるいはゲームそのものの制作まで、
頼まれるようになった。
たまり場の面子にはフリーのプログラマーやディレクターもいたから、
相談して、受けられることは受けた。
ただの遊びで終わった作業もあるし、
ウン千万儲かって山分けにしたこともある。
いま、僕がいるのは基本的には
そのたまり場というかサロンの延長でできた事務所だ。
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そう、たまり場を探して行くか
たまり場を自ら作ればいいんです。
ぜひ参考にしてください。
それでは、また。(^_^)/
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