かの有名なコメディアン、小野ヤスシ。
加入していたドリフターズが
『音楽』から『お笑い』に路線変更するのが気に入らず、
脱退します。
しかし、ドリフターズがお笑いで『大ブレイク』すると
彼もお笑いをやるようになります。
やりたいものが売れず、
やりたくないものが売れてしまう。
芸能界でよくある事です。
かくいう自分も悩んでおりまして、
あるお笑いの素晴らしい参考書を
偶然にも古本屋で購入してしまいます。
そこで困る。
まじめ路線で小説を書くのか、
お笑い路線で小説を書くのか。
しかし自分の家には借金が2500万円もありまして、
売れない小説を書いてる場合では無いのです。
やはり稼ぐためにお笑いをやるしか
無いんですかね?
よろしければ、下にある広告をクリックしてもらえると
助かります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■加筆・補足
自分で路線変更をできるゲーム、
弟切草よりご紹介。
ホラーの定番的な演出法。
1.漠然とした不吉な予兆
2.徐々に実体が顕在化
3.具体的な試練
これをゲームではどう表現しているか?
・主人公とヒロインの隔たり
第三者(主人公:ユーザー)の楽観的解釈
当事者(ヒロイン)の絶望的解釈
しかし主人公もヒロインの行動から
『疑惑』が湧いてくるようになってしまう
ヒロインの少し変な笑い方から
左右のバランスを崩す笑い
↓
双子のバランスを崩す悲しみ
と暗示させている。
「この絵と奈美は似てないよ」
こうした嘘は
確かな安心の現実であるヒロインを
あやふやな恐ろしい非現実のヒロインに
したくない気持ちを表している
それからの選択肢により
『ヒロインをどう認識して扱うか』で
ストーリーが変わるように仕込んである
つまり選択肢が
『ストーリーの暗示』になっている。
ホラー映画こそ
普遍的な『人間の素晴らしさ』を
表現しているのではないか?
つまり『怪奇現象』こそ
人生における『試練』である
怨念の持ち主にも
悲しみがある
そこを置き去りにしない
西洋人のホラーでは
宗教に背く悪をよく題材にしますが
日本人のホラーは
言い伝えや昔話を題材にして
復讐や憎悪を描く傾向がある
ホラーの基本は
被害者が加害者になる、を描くべし。
そしてクライマックスは
闇を浄化してスッキリさせ
レクイエムとして終わりにするのが
一番ベタでしっくりきます。
だから弟切草のラストは
浄化のために『屋敷が燃える』なんですね。
それでは、また。(^_^)/
http://