家政婦のミタから、
身近な人の死を乗り越えていく物語を紹介。
そもそも家政婦のミタとは、
阿須田家へやってくる家政婦の話であり、
その家政婦・三田灯は、
夫と子どもを事故で亡くした女性である。
それだけでなく、夫と息子を死なせてしまったのは
自分の責任なのだという、
まさにこの「罪悪感」に苦しみ続けている。
そして、三田が家政婦として勤める阿須田家もまた、
母親を自殺によって失った家族であり、
その夫と子どもたちは、妻・母親を自殺で失ったことの傷によって
崩壊寸前になっている。
しかし、その家族に三田があらわれることによって、
大切な家族を失った者同士が共鳴しあって
心の傷から立ち直っていく。
その際に「罪悪感」を持った者同士だからこそ、
互いを助け合うことができるという構造になっている。
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これを利用して
01.痛ましい事件が起こる
↓
02.心に傷を負う
↓
03.似たような傷を持つ人と出会う
↓
04.一緒に共同生活をする
↓
05.互いに助け合って傷を癒していく
という風に表現できます。
心の痛みを表現するのに重要なのは
哀れっぽくしない事。
飽くまでも『乗り越えていく』のであって
『いつまでも引きずって落ちていく』ではないんです。
そう、『けじめ』をつけろって事なんですね。
それにより不幸から幸せになるんです。
これによりお客は納得するんです。
皆さんもぜひ応用してみてください。
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■加筆・補足
悪いことをしたキャラクターをどうするか?
それは『案内人』にすると
うまくいくんです。
大塚英志先生の著作『物語治療論』から引用。
例えば、悪いことをした犯人は
刑事の取り調べで『かつ丼』を食べて
自供します。
こうして悪いことを吐き出して
刑務所に行き、人生をやり直す訳です。
どうやり直すかというと
自分の経験から悪い道に入ってはいけないと、
アドバイザー、つまり案内人になるのです。
かつ丼を『食べる側』から
かつ丼を『食べさせる側』へ移行するのです。
これにより自分の失敗は
『無駄ではなかった』と肯定されるのです。
これが悪の『浄化』であり『癒し』です。
人は一方的に悪を否定してはいけないのです。
なぜなら戦争では
愛する国を守るため、愛する家族を守るために
人を殺すのです。
そうして帰ってきた兵隊さんを
どうして非難できましょうか。
皆さんも悪事を行い、
その経験を活かして案内人となる
『かつ丼』のような癒しを表現してください。
そういう物語はベタだけど
お客は喜ぶのです。
それでは、また。(^_^)/
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